MacPeople3月号特別付録の(p119からなる)小冊子、
柴田文彦氏著、アップルGUI原論
「メニューバーはなぜ上端にあるのか?」
ちょうど連休で時間ができたので読む事ができました。
ResEditなんて単語が出てきて、非常に懐かしかったり
しますが、その"読「後」感想文"をば...
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■「なぜメニューバーが上端に」
起動されている各アプリケーションで取り合いを
する事になる「ディスプレイ上段のメニューバー」
エリア。Windows系の様に、各アプリケーション毎
のコントロール下にあるウィンドウ内のメニューに
まとめてしまうほうが、「論理的で」すっきりする。
たしかに、アプリケーションを作る方にしてもその
ほうが考え易いかもしれない。しかし、この小冊子
にも書かれているように、実際ユーザーがメニュー
を選ぼうとマウスを動かそうとしたときの心理状態
を考えると、確かに、Macのように「メニューバー
がウィンドウ枠の外であり、それ以上マウスが行って
しまうことがないディスプレイ最上段に位置されてい
る方が安心して作業できる。
たしかに!
だって、
「えーと、あのウィンドウ枠のちょっと内側の限られ
た上下左右位置にあるメニューを狙ってマウスのポイ
ンターを動かして..外さないようにしなきゃ...」
って思いながら操作するのと、
「ま、左右位置は仕方ないとしても、メニューはマウ
スが行く事が出来る一番上にあるから、とにかくズィ〜
とマウスを動かして...」
って考えながら操作するほうが、緊張感(?)圧迫感(?)が
全然違う。
このあたりのことも、Windowsでの作業で感じる、
ある種の疲労感(みたいなもの)に繋がっているような
気がする。
■「MacでのGUI」
今でも大きなコンセプトが変わらず使い続けられて
いるウィンドウやダイアログボックスなどが、導入当
初のあの時点で既にほぼ完成されていた。
『現代まで通用するようなスタンダードを、
ほとんど前例のなかった時代にいきなり確立
してしまったところに、奇跡的ともいえる
MacOSのすごさがある〜』(文章引用)
たしかになあ。
生半可なコンセプトだと、跡形も無くなっていてもおか
しくない。当時のGUIを考えたAppleのエンジニアの
「レベルの高さ」と「執念」を痛感させられる。
それも、「技術者のエゴではなく、真にユーザーの視点
に立って考え」ていたことのすごさ。
■そしてこれから
WindowsもVistaになり、MacOSもLeopardが登場
する今年。これからも、どんどん使い易いGUI機能が
搭載されて行くだろう。(まあ、中には「???」って
3回くらい頭をひねってしまいたくなるものも出てくる
危険性も否定できないが...)
CPU/GPU性能アップ、メモリ価格低下で、それらの
恩恵を十二分に生かそうと、各OSとも今も研究開発の
手を緩めていないと思うし、実際やっているだろう。
ただ、このままの延長線上で、この先のGUIが有ると
も思えない(個人的に)。Tangibleになるかもしれない
し、そうじゃないかもしれない。全く新しいユーザーイ
ンターフェースというものが提示/提案されるかもしれな
い。
何があるか、何がでてくるか、まだ分からない。
でも、変わらずあるものは、
「それを使うのは人間。見るのも触るのも人間である」
ということ。その視点にズレが生じなきゃ、どんなのが
出てきても許せるかなあ。
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